皆さまへ

こんにちは。

 

文学フリマも終わりひと段落したところにテストと夏コミで死にかけているいすひろしです。

このブログについてですが、再開することになりました。

 

よろしくお願いします。

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活動報告 「玉野五十鈴の誉れ」(『儚い羊たちの祝宴』米澤穂信 所収)

この記事は6/21(日)に行われた当サークルの読書会で話し合われたことを一部抜粋した記事です

【注意:この記事は「玉野五十鈴の誉れ」未読の方を全く配慮していない内容です。ぜひこの短編を読んでからこちらをお読みください。】

 

この話は一見すると、ピンチになったお嬢様をその使用人が助けるといった主従愛に満ちたハートウォーミングな話に見えるかもしれません。しかし、そのような単純な解釈でいいのでしょうか? 何よりもあの米澤穂信がそんな単純な話を書くでしょうか? このような疑問を持ったため、この短編に対し二つの問いを発し、それについての考察を挙げます。

問「玉野五十鈴とはどのような人間だったのだろうか」

初めに、純香の父は五十鈴にこう言いました。

 

「義母はああいう人だから、君も苦労が多いと思う。だが、この家で本当の意味で純香の味方になってやれるのは君だけだ。どうか純香と、仲良くしてやってくれ」

 

これは五十鈴にしてみれば、「純香の味方になるように」との命令です。五十鈴と仲良くしたり、小説を勧めたりしたのはこの命令があったからです。

玉野五十鈴は最初にこう宣言します

「玉野五十鈴と申します。今日から、ご当家にお仕えすることとなりました。何卒、よろしくお願いいたします」

ここで大切なのは五十鈴は純香の祖母ではなく、小栗家に仕えると宣言したのです。ここで、小栗家のトップは誰か? 実質は純香の祖母ですが、形式上は純香の父です。ここで、純香が優先して受ける命令は純香の祖母か、父か? 話をよく読むと、それは後者。つまり、純香の父に従っていることが分かります。

つまり、五十鈴の中での順位としては

1.純香の父

2.純香の祖母

3.純香

の順です。しかし、純香の父による「純香の味方になって欲しい」という命令により、五十鈴の中での順位は

1.純香の父

2.純香

3.純香の祖母

となるのです。

そして、純香の父が放逐されたとき、純香の父は小栗家の人間ではなくなります。しかし、五十鈴は”小栗家”に仕える物です。もはや「純香の味方になって欲しい」という命令は効力を失うので

1.純香の祖母

2.純香

という順位に入れ替わります。もはや純香の父は小栗家の人間ではなくなりました。よって「純香の味方になって欲しい」という命令もここまでです。純香の祖母に命令が最優先にきます。では、純香の命令は受け付けなくなってしまったのか? そうではないでしょう。純香はまだ小栗家の人間です。よって、純香の祖母の命令と矛盾する命令でなければ受けつけると思われます。その証拠に純香が

 

「どうしたの、五十鈴。お祖母様は、ここにはいないわ。意地悪はやめて、こんな、怖いときに。いつもみたいに笑ってよ」

 

と言った際に

 

「それは、お言いつけですか?」

 

と聞き返します。

もしも、純香の命令を聞く気が無いのであればこのように聞き返したりはしないでしょう。

では、なぜ五十鈴は命令の最上位に来る純香の祖母を殺害したのか?

五十鈴が純香に毒酒を持ってきたシーンで、五十鈴はこういいます。

 

「……お嬢様に毒酒を渡すよう、私に命じられました」

 

つまり、毒酒を持ってくるよう命じられたわけで、純香を毒殺するよう命じられたわけではありません。その後、

 

やつれはてたわたしの喉が、小さくうごめく。助けて、五十鈴。

(中略)

「はい」

 

というシーンがあります。この「はい」という返事は、純香には幻に聞こえたようですがが、しっかりと発せられたものです。そして、「助けて」という命令は「毒酒を渡す」という命令とは矛盾しないので、五十鈴には実行可能なのです。そうして、五十鈴は小栗家のものの命令を忠実に実行した、と考えられます。

では、五十鈴とは形式的で冷淡な、それだけの存在なのでしょうか? そうとも言えません。

純香が監禁されてる際に、使用人に五十鈴の様子を尋ねたところ、その女中は

 

「……『初めちょろちょろ、中ぱっぱ』なんてよく言ってましたけど……」

 

と発言しています。なぜ、五十鈴はこのセリフを”よく”言っていたのか? それは、純香への思いがあるからではないでしょうか?

形式的で冷たい。でも、それだけではない。表にはあまり出ないけどちゃんと感情はある。いかにも米澤穂信らしいキャラではあると思いませんか?

 

問「玉野五十鈴の”誉れ”とは一体なんだったのか」

タイトルにもなっている「玉野五十鈴の”誉れ”」。一体、彼女の誉れとは何だったのでしょうか? それについて考えてみました。

良く聞く答えは純香を助けるというものですが、本当にそうなのでしょうか? 僕は今回他の可能性について考えてみました。すると、先ほどの問いで考えたこと和えとは全く別なことが見えてくるのです。

 

P1

見落としがちですが、本短編内で以下のようなシーンがあります。

純香が五十鈴に家のことについて尋ねると

 

「焼けました」

 

との答え。

 

「ご家族は」

 

という問いにも

 

「焼けました」

 

との答え

一体なぜ焼けたのでしょうか?

確かに、五十鈴の雰囲気を作るために作者がそういう設定にした、と考えるのが一般的でしょう。しかし、このシーンにはただそれだけの意味しかないのでしょうか。

この玉野五十鈴という少女、料理を除けば結構すごく有能な人です。

 

「五十鈴は身元の確かな子で、諸芸もひととおりわきまえています。あなたが連れ歩いても、恥をかかせることは無いでしょう(中略)」

およそお祖母さまが、外の人間を褒めることは無い。使用人を良く言うことなど考えられもしなかった。

 

この五十鈴、使用人としてかなり申し分ない人です。純香の祖母は五十鈴を使用人としてかなり買っています。おそらく、非常に雇いたかったのでしょう。では、五十鈴を雇う際、断られたらどうでしょうか? 実の孫を毒殺することでさえ躊躇わない人です。五十鈴を迎え入れるためなら、家の一つや二つ燃やしても不思議ではありません。でしたら、五十鈴はかなり純香の祖母に恨みを持っているでしょう。

 

P2

仮に五十鈴の誉れが純香を助けることであったのならば、なぜ太白まで殺す必要があったのか。これは、小栗家の当主に愛するものを殺された痛みを味あわせるため。という考えも出てきます。

玉野五十鈴の”誉れ”とは一体なんだったのか? 彼女の本当の”誉れ”とは「小栗家党首への復讐」っだったのではないでしょうか。

 

P3

純香が監禁されているときに使用人が以下のようなことを言います。

 

「……芋の皮むきから皿洗いまで、叱られずに出来ることは何一つ無いんですよ。いまじゃあ、お勝手のゴミを集めて焼くばかりがあの子の仕事ですよ……」

 

なぜ、あれほど純香の祖母にかわれていた五十鈴がそれほどまでに仕事が出来なくなったのでしょうか? 一つ考えられるのは”仕事が出来ないフリをしていた”ことです。仕事が出来なければおのずとゴミ捨て、つまり焼却炉を扱えるようになるのです。

 

P4

先の問でも引用した以下のシーン

「……『初めちょろちょろ、中ぱっぱ』なんてよく言ってましたけど……」

 

この言葉は純香への思いから出た言葉などではなく、こう思ってのことだったのではないでしょうか

 

“「初めちょろちょろ、中ぱっぱ。赤子泣いても蓋とるな」か。なるほど、この方法を使えば小栗家当主には私と同じ境遇。すなわち、愛するものを焼死させられた苦しみを味あわせることができる”

 

こう考えると、五十鈴のこの言葉はうってつけの復讐方法を見つけた喜びのあまり口から洩れてしまった言葉、と解釈できます。

 

P5

これはメタ的な話になるのですが、この短編の一番最初に

 

彼女は――。玉野五十鈴は、そんなわたしを助けたかったのだろうか

玉野五十鈴の誉れとは、何だったのだろう。

 

もしも、彼女の”誉れ”が彼女を助けることだったとしたら、作者である米澤穂信は一番最初で種を明かしていたことになります。米澤穂信がそんな単純な話を書くでしょうか?

 

仮に、この仮説が正しいとするならば、五十鈴は形式的、機械的な人間なんかではなく、非常に感情的な人間です。そして、純香には何一つとして思いを持っていない、ただ自分の復讐のためだけに生きてきた。そんな人物となるのです。

 

最初の問と後の問。両方を考えると全く違う五十鈴の人物像が浮かび上がってきました。しかもどちらも米澤作品らしい人物像です。これも米澤作品の面白さなのです。

もちろん、これらの考えは私の想像であり、その他いろいろな五十鈴の人間像が考えられると思います。皆さんも、考えてみてはいかがでしょうか?

 

担当:藍川陸桂

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ラジオ出演

本日、当サークルを紹介して貰えると言うことで、30分のラジオ番組の収録に行きました。

FM北海道の「学生情報バラエティー」という番組で、オンエアは7/3の21:30からだそうです。

よろしくお願いします。

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活動報告 「春の盗賊」(太宰治)

皆さんこんにちは。北海道大学エンタメ系総合文学サークルのツバサです。

本日は、自己紹介やサークルの説明も兼ねながら太宰治の短編「春の盗賊」について話し合いました。

 

講師役のTさんが話す前の皆さんの太宰のイメージは次のよう

・鬱々とした青春を送っていた

・子供っぽい

・自尊心が強い

etc… でした

 

「生れて、すみません。」

この言葉は太宰治の著作「二十世紀旗手」に乗っている言葉。でも、この言葉は太宰が本人が言った言葉ではなく、太宰の作品の中にいる主人公が言った言葉です。

Tさんは言います。「太宰本人の人物像は作品のイメージとはかけ離れているのではないか。例えば、「女生徒」といった明るい作品だってある」

Tさんの主張は「太宰は廃人として語られるのはもったいない」というものです。はたして、太宰は自分が俳人として読まれるのを望んでいたのだろうか。

よく、世間一般では「人間失格」は太宰の遺書的な存在だったといわれています。

「人間失格」は廃人同然となった大庭葉蔵の手記からなる物語ですが、その前後に「はしがき」と「あとがき」があります。その最初の部分、はしがきでは、大庭の手記は大庭の知り合いのバーのマダムが預かっていて、それを「私」が文章として起こした。ということが語られています。

もし、「大庭」=「太宰」という読み方を太宰がしてほしければこのような記述はいらないのではないでしょうか。わざわざこの説明を入れたのは太宰と大庭との距離を話したかったからではないのでしょうか。

 

さて、やっと「春の盗賊」についてです。

この短編では

「いったい、小説の中に、「私」と称する人物を登場させる時には、よほど慎重な心構えを必要とする。フィクションを、この国には、いっそうその傾向が強いのではないかと思われるのであるが、どこの国の人でも、昔から、それを作者の醜聞として信じ込み、上品ぶって非難、憫笑する悪癖がある。」

という記述があります。そして太宰はこの短編の中でこの話はフィクションであるということをさらに強調します。

「次に物語る一篇も、これはフィクションである。私は、昨夜どろぼうに見舞われた。そうして、それは嘘であります。全部、嘘であります。そう断らなければならぬ私のばかばかしさ。ひとりで、くすくす笑っちゃった。」

小説の中の登場人物と自分を同一視されたくない。そんな思いが込められているのではないでしょうか。

「そろそろ小説の世界の中にはいって来ているのであるから、読者も、注意が肝要である。」

この表現でこの短編の全体的な構造が示されます。つまり、前半がエッセイ。後半がフィクションということです。わざわざ「これはフィクションだぞ」と注意喚起しているわけです。

 

これで、太宰は登場人物と同じではないという思いがあったことはわかりました。でも、少し立ち止まってみてください。太宰はこの後に書く「人間失格」では「私」という一人称を使っているのです。もし、フィクションとして読んでほしければ「私」という一人称を使わなければいい。「私」を使うと主人公が太宰本人と同一視されがちなことは太宰本人も自覚しているのです。ここから見えてくる太宰の人間像、それは

子供っぽい。

ということなのです。読者に『主人公は「私」だぞ』って煽っておいて「フィクションとして読め」という。こんな人間が果たして暗い人間なのかどうか。太宰はやっぱり面白い人です。

 

青空文庫へのリンクです

春の盗賊

http://www.aozora.gr.jp/cards/000035/files/266_20031.html

 

二十世紀旗手

http://www.aozora.gr.jp/cards/000035/files/234_19994.html

 

人間失格

http://www.aozora.gr.jp/cards/000035/files/301_14912.html

 

走れメロス

http://www.aozora.gr.jp/cards/000035/files/1567_14913.html

 

女生徒

http://www.aozora.gr.jp/cards/000035/files/275_13903.html

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ブックレビュー 『精霊の守人』 上橋菜穂子

<守人>シリーズの第一作。

女用心棒のバルサが、橋から落ちた皇子チャグムを助けたところから物語は始まります。バルサはチャグムの母の命により、父から狙われたチャグムを守る。そんな話です。

主人公が三十路というのは児童書っぽくないな、とは思いましたが。すごく面白かったです。バルサの仕事ぶりがかっこいいです。チャグムも見かけは華奢で優しいんですけど、激しい気性を内に秘めていて。

モブでさえも魅力的なキャラ、迫力のある戦闘シーン。

指輪物語や若草物語といった風に後世に残る物語となってもおかしくないと思います。

“壮大なファンタジー”というような文句を聞くと「難解な話なのかな?」と思ってしまいますが、これはまったくそんなことなく非常に読みやすいです。児童書ですが、老若男女万人にお勧めできる話です。個人的には、第二巻の「闇の守人」のほうが好きですね。

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ブックレビュー 『氷菓』 米澤穂信

『氷菓』

My first mystery.所謂「原体験」というやつです。小学校三年生位のときにスニーカミステリ版を手にとってみて、「これは面白い」と感動したことを覚えています。

<古典部>シリーズの第一巻で、米澤穂信のデビュー作。謎としての魅力は低い上に、最近の米澤作品のほうがずっと質が高いので、個人的にはあまり評価されないかもしれませんが、個人的には大好きな作品です。でもやっぱり米澤作品は長編より短編のほうが好きですかね。

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こんにちは!文学集団ツバサです!

ここは「ツバサ」のホームページ兼ブログです。

このページでは活動報告やブックレビューなどを行っております。

当サークルは札幌の大学生を中心としたゆるーい文学サークルです。活動には必ず毎回参加しなければならないという訳ではありませんので、気軽に参加してみてください。

基本的な活動内容として、お勧めの本を紹介したり、好きな本について語り合ったり、会誌の執筆をしたりしています。ツバサが取り上げる作品は一般の文芸サークルとは異なり、小説だけに限りません。評論、エッセイ、漫画、アニメ、映画、演劇、ミュージカル、和歌、詩など「文学」と呼ばれるもの全般を扱っています。ですので、物語を書く人もいますが、基本的に活動内容は自由で、何を書いても語ってもいいのです。小説を書いたことはないんだけど……という方でも全く問題ありません。

上の基本的な活動以外でも対外的な活動として、小説家による講演会の開催や文芸フリマ、コミックマーケット、コミティアといったイベントへの出品などを目標としています。

まだ小さな団体ですが、ここでしかできないことができればと思います。

どうぞよろしくお願いします。

会長

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